タイトル長っ!(汗)で、今更なんだけど。日テレ。まあ「こんな偽善的な番組をよく20年以上も続けてられるよな」とか「出演者が沢山いる割には小粒な芸人ばかりじゃねーか」「またジャニーズの独壇場かよ」とかそんなことはどうでもいいのです。
ましてやアンガールズがマラソンしているときに「あいつ、キモイよ」「霊だよ、ありゃ」などという悪口を平然と音声さんが録っていたり(生だからしかたがないか)、おばあちゃんがアンガに「がんばってね」と触ろうとした(つかおばあちゃんは相撲や格闘技と勘違いしていたのでは?)らスタッフが「さわるな!」と睨んだとか・・そんな
素敵なこと失態はどうでもいいのです。
どうでもよくないか(汗)。ほら、これだけでも偽善に満ち満ちた素晴らしい番組だってわかったでしょ。それだけでも日テレ側としては成功だとおもう(爆)。どんなにドキュメントで人を感動させてもメインがジャニーズの歌だったりマラソンだったりするからね。
でもそんなことは華麗にスルー。
今回、言いたかったのは『ボランティア』。無償(または有償)で誰かの役に立つ。いいことです。
人を助けることが出来るのは人間にしか出来ないもの。よく救急病棟とか警察とかの24時間密着スペシャル番組をやるけどそれ見ると本当に凄いな〜と思う。
誰かが川で溺れていたとする。助けようと後先考えないで飛び込む人がいるでしょ。あれって
人間の本能なんだって。咄嗟に行動してしまうのが。『窮鼠猫を噛む』というよりは『火事場の馬鹿力』とでもいうほうがいいのかもしれないね。
本当に誰かの為に尽くすというのは人として、人にしか出来ないことだと思います。美しいことです。素晴らしいことです。ただ同情でなければね。悔しいことに
人間は誰しも自分より能力が劣る(または病気や怪我をしてるという身体的に障害のある)人を「可哀相」という括りで見下している心も持っていると思うんだ。
ボクの友だちは介護の仕事をしています。患者(?)の中には「見下しやがって!」などと怒る人もいたそうです。哀しいことです。でも介護するほうも感情のある人間です。ロボットじゃないんだから。99パーセントはその人の為にやってることでも残りの1パーセントを見透かされたら?
人間はね。本来弱いものだと思うんです。弱いからこそ群れをなして生きる。一人じゃ生きられないんです。完璧な人間なんて一人もいないんですよ。弱い人間が一人一人手を取り合って・・ってそりゃ
『聖者の行進』の受け売りか(汗)。
と、とにかく(こほん)。ボクは深層心理として人は自分より立場の低い者を「可哀相だ」「何とかしなくちゃ」と救うことができるがホンの数パーセントでも見下す部分も持っているのでは?と考えるのです。
なんか人助けは良い事だ美しいことだ等といっておきながら・・「見下してるのでは?」なんて矛盾してますよね〜。もしかしたらそんな矛盾に折り合いをつけながら人は生きてゆくのかもしれないね。人の心って計り知れないもの。
本当は誰もが やさしくなりたい
それでも天使に 人はなれないから(song by辛島美登里『サイレント・イヴ』)

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でもそんなことは華麗にスルー。
今回、言いたかったのは『ボランティア』。無償(または有償)で誰かの役に立つ。いいことです。
人を助けることが出来るのは人間にしか出来ないもの。よく救急病棟とか警察とかの24時間密着スペシャル番組をやるけどそれ見ると本当に凄いな〜と思う。
誰かが川で溺れていたとする。助けようと後先考えないで飛び込む人がいるでしょ。あれって
人間の本能なんだって。咄嗟に行動してしまうのが。『窮鼠猫を噛む』というよりは『火事場の馬鹿力』とでもいうほうがいいのかもしれないね。
本当に誰かの為に尽くすというのは人として、人にしか出来ないことだと思います。美しいことです。素晴らしいことです。ただ同情でなければね。悔しいことに
人間は誰しも自分より能力が劣る(または病気や怪我をしてるという身体的に障害のある)人を「可哀相」という括りで見下している心も持っていると思うんだ。
ボクの友だちは介護の仕事をしています。患者(?)の中には「見下しやがって!」などと怒る人もいたそうです。哀しいことです。でも介護するほうも感情のある人間です。ロボットじゃないんだから。99パーセントはその人の為にやってることでも残りの1パーセントを見透かされたら?
人間はね。本来弱いものだと思うんです。弱いからこそ群れをなして生きる。一人じゃ生きられないんです。完璧な人間なんて一人もいないんですよ。弱い人間が一人一人手を取り合って・・ってそりゃ
『聖者の行進』の受け売りか(汗)。
と、とにかく(こほん)。ボクは深層心理として人は自分より立場の低い者を「可哀相だ」「何とかしなくちゃ」と救うことができるがホンの数パーセントでも見下す部分も持っているのでは?と考えるのです。
なんか人助けは良い事だ美しいことだ等といっておきながら・・「見下してるのでは?」なんて矛盾してますよね〜。もしかしたらそんな矛盾に折り合いをつけながら人は生きてゆくのかもしれないね。人の心って計り知れないもの。
本当は誰もが やさしくなりたい
それでも天使に 人はなれないから(song by辛島美登里『サイレント・イヴ』)

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興味深く読ませていただきました。
僕もボランティアってのをよくやってるんですが、「見下す」っていう感覚とはちょいと違うと思うんですが、障害者との「差異」があるってことは、認めますね。あくまで僕の感覚ではね。
「差異を認める」とは健常者にはあって、障害者にはない何かを認めることで、、、結局は「劣っている部分がある」ということを認めるわけだから、それは「見下し」では?というブリさんの視点も分からないでもないけど、、、。
うまく説明できないけど「見下す」のではなくて、「差異を認める」というか・・・。そう!例えば「子ども」って「大人」に比べて知能や体力が劣っているけど、それを「見下す」って感覚では捉えないですよね。子どもが困ったいたら、自然に手を貸してあげる大人が多い。。。ここの「子ども」が「障害者」に変っているのかな?と。
とはいえ、深層心理では「見下し」はあるかもしれない(笑
でも逆に僕的には『「障害者」も「健常者」も同じなんだよ』なんて言っている人間には、まともな支援はできないと思ってます。違いを認めずに、どんなことが不便なのかを知らないで、支援するってのは、相手が満足しようとしまいと関係がない、本人の自己満足なわけで。
過去に、この話題に関連した記事を書いているので、よかったらご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/cat_in_boots/e/1e729f5e7794846324cf79ccb2d80049
長々とコメント失礼しました。
自分で記事を書いてTBしたほうがよかったかも(爆